プロデューサー・ノート<西江さんのプログラミング、松山さんの柔軟性>2007年06月10日 09時12分24秒

先週のブログは、仙台にとって切っても切れない関係性のお二人の名ヴァイオリニストの連載でした。

今回の西江さんで素晴らしいのは何と言っても、シューマンのヴァイオリン・ソナタの2番を演奏していただけること。
http://sencla-blog.asablo.jp/blog/2007/06/04/1552298

この曲は、どこからどう考えてもポピュラーな小品とは全くの正反対で、ほぼ絶対に誰もメロディーを歌えない、大きな曲です。

このブログの5月27日にも書かせていただきましたが、
http://sencla-blog.asablo.jp/blog/2007/05/27/1536277
クラシックファンでは無い普通の方のための、なるべくポピュラーな小品を多くしてある「せんくら」ですが、敷居を高くしないように気をつけながら、少しづつ長い本格的なものにも触れていただきたい、という本音はあります。

このシューマンの2番も正にその好例の1つで、シューマン晩年の精神的に深みのある、クラシック音楽の存在価値をそれ自体で示しているような作品です。私も個人的に最も好きなヴァイオリン曲の1つで、ギドン・クレーメルさんも、そうおっしゃっておられます。

イケメン貴公子の西江さんですが、アーティスティックにはこのように本格派のところが彼の魅力だと思います。

松山さんのほうはブログを読んでいただければ、すぐにお分かりいただけるように、自然体の柔軟性が最高です。文章にも才能がきらめいていますね。

コンクールのライブCDにも残されているように、ブラームスのコンチェルトをカチッと弾くこともできるし、昨年のせんくらの四季の様に、柔軟で即興的にも聴こえる演奏も得意で、硬軟自在といったところでしょう。

仙台市市民文化事業団会員の皆様用の先行発売でもこのお二人のチケットは人気だったようです。本日の「ぴあ」の早取りあたりで申し込まないと、もたもたしているとチケットは無くなってしまうかもしれません・・・・・と、最後は脅し的宣伝。
http://sencla.com/ticket/pre.html

失礼いたしました。

平井洋 せんくらプロデューサー

荒川洋(1)仙台の記憶〜森林公園を駆け回って〜2007年06月10日 10時05分26秒


こんにちは!! フルートの荒川洋デス。今回はよろしくお願いします。

とうとう「せんくら」に出ることになりました。メルシーボクー!よく「とっておきの音楽祭」には出ていましたので、ジャズフェスも含め、仙台という街が「音楽の街」として、一層華やかさが増しましたことをあらためて実感いたします。サスガ!育った街ということもあるけれども、やっぱりすてきな街です。そして、その昔、小学校1年生までは泉区旭ケ丘に住んでいて、南光台小学校に1年通っていました。

今でもたくさんのことを幼少の頃の記憶として留めています。あの旭ケ丘の起伏のある斜面と、八乙女中学校の横の公園と小山が今でも通ると懐かしい。昔の茶色いシビックや鷹のマークの白いトランザムがよく走っていた時代でした。子供の頃の記憶ってなんだろう。。南光台小学校の前によくヒヨコ売りのおじさんがいて、隣のおばさんからお金借りてヒヨコ買ってきて(親が貧乏だったのではなく、たまたまいなかったから!)、一生懸命育てたら、あのかわいいぴよぴよヒヨコにトサカが生えて、ある朝から「グェー」って鳴き出したこととか。今でもおつきあいがある親戚のおじさんが八木山のベニーランドに連れていってくれるので、楽しみにしていたこと。スポーツランドSUGOのなが〜いすべり台が大好きだったこと。南光台小学校1年生のとき(というか1年生までしかいなかったが。。)超ガキ大将で、担任の木村先生の手を焼かせていたこと。西公園の機関車を愛してやまなかったこと。ダムだった黒松の辺りに、突如家ができたこと。もっと小さい頃、旭ケ丘からバスで市内にでるとき東照宮まで大渋滞しててぐったりしたこと(笑)。台原森林公園の池の四角い石を渡るのが怖かったこと。そして、宮城沖地震があり、断水したので給水車がきて、バケツを持って汲みに行ったこと。。

30年前の記憶と今の仙台がスクランブルする時がありますが、それ以上に、未来へクリエイティブに突き進む今の仙台がたまらなく魅力的です。

今回もいろいろネタを用意して乗り込みますので楽しみにしててくださいネ。まずは一回目のブログでした!!

「荒川洋」ってどんな奏者なんだ、という方はこちらへ→ http://hiroshiarakawa.com