仙台フィルハーモニー管弦楽団(2)2007年07月09日 09時50分08秒

仙台フィルのトランペットの森岡正典です。

「せんくら」の3日間、仙台の町のどこかで、生の音楽が流れているというのはいいですね。聴きたいものがたくさんあって、迷っていらっしゃるのではありませんか。私もオーケストラのほか金管五重奏でも出演します。

仙台は外からの交流が多いですし、いつも何かしら新しさを感じる町です。その町にぴったりの企画ですね。

私と音楽との出会いは中学生になって、吹奏楽部に入ってからです。兄がホルンをやっていましたので私もホルンをと思っていたのですが、トランペットを吹くことになりました。

「せんくら」でのトランペットの聴きどころといったら、シベリウスの「フィンランディア」でしょうかね。

トランペットが活躍するオーケストラ曲はたくさんありますが、私は、マーラーの交響曲第1番や第5番や、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」が好きです。マーラーの曲は最近あまり演奏する機会がありませんが、「英雄の生涯」は、「せんくら」のすぐ後の仙台フィルの定期演奏会で山下一史さんの指揮で演奏しますので、楽しみにしております。この演奏会にも多くの人にお出で頂きたいと思っております。

「せんくら」の話題からはそれますが、私の最も好きなトランペット奏者は、ニューヨークフィルのフィリップ・スミスさんです。その人が加わっているアンサンブルがこの7月に名取にきます。ついでにちょっと宣伝させていただきました。

村上満志(2)恥ずかしながらの「昔話2」2007年07月09日 10時13分28秒

その昔、東北、北陸、中国、四国、九州などの各地方に一大学、教育学部に特音課程と言うものが設けられた。私の卒業した1つ目の大学、島根大学は中国地方のそれだった。

恥ずかしながら1967年入学で、もう40年も前のことになる。

1学年の定員は30名で、だいたいどの学年も男子10名、女子20名という構成だった。学業成績の芳しくない生徒の集まる私立の男子校(女性は売店と事務のオバサンのみ)で嫌々ながらの3年間を過ごした我が身には、大学での生活そのものが革命的な変化だった。稚拙で訳の分からない練習を繰り返していたと思うが、結果を求められる事もなく楽器にぶらさがっているだけで、多少なりとも「自」を見出せる喜びを感じていた。そしてその上、多くの女性が同じ空間で同棲?する環境でそう出来ることは、恥ずかしながら振り返れば、これまで過ごし来た時間の中でもかなり「パラダイス」に近いものだったのかもしれない。

そんな学生生活の3年になる前の春休みだったと思う。その街に唯一ある「花のキャバレー」(その当時の文化施設?で、若かったり、若くなかったりする女性がアルコール飲料を持って待ちかまえ、クライアントを接待する大人の社交場)でピアノを弾く先輩から、一緒にそのキャバレーでバンドをやってくれないかとのお誘いを受けた。その先輩は一言で言えば、はなはだ潔く生きてこられた人で、今でも親交を結んで頂いている。

多少の躊躇はあったが、「ここで稼いで東京へ行ってコンバスのレッスンを受ける為」と割り切って、学生とバンドの二重生活が始まった。

そんなある日、声楽科の後輩が、どこかに捨ててあった自転車を自分で修理して、私に「どうですか?」と言ってきた。うかつにも購入してしまった。500円で!

2・3日後、花のキャバレーで仕事を終え、閉店まぎわの「おでん屋」でちょいと一杯、飲めないアルコールを飲み自転車のペダルを踏んで帰路につく。橋にさしかかった。どんな橋でもなだらかながら多少登り下りの坂になっている。登り始めて4回、5回と踏み込むペダルにかかる負荷が増してくる。何度目か息を止めて「えいっ」とばかりに右足を踏み込むと同時にポロッ、カラカラ?!ペダルが自転車から勢いよく地面へ。横転はまぬがれたが、坂を押して登り、そこから先は、恥ずかしながら、ネクタイを締めた小意気なバンドマンが左足1つペダルの自転車で夜の街へ消えていった。