花房晴美(1)2007年07月22日 11時25分31秒

ハ~イ!皆さま、こんにちは!花房晴美です。今度『せんくら』に参加させていただくことになり、何となくウキウキしています・・・理由は??・・・ヒョッとすると朝、一、でリストのソナタをブレックファストのように(シャンパン・ブランチか?)弾くとか、45分の制限時間絶対厳守とか、結構フツーのコンサートと違う感じで好奇心の多い私にはそのチャレンジがおもしろそう・・・なんて思っています。仙台と言えば、小学生の頃から桐朋学園の音楽教室の出張コンサートみたいなもので行っていたのです。最近、他にもご縁が出来ました。実は数年前の夏にスイスを主人と旅行した時に仙台のお友達ができたので、また会いたいなぁ・・・石田さん、お会いできるのを楽しみにしています!!

藤原真理(1)2007年07月22日 11時34分20秒

(C)Atsuya Iwashita

みなさんはどのような時に音がほしい、音楽が聞きたいと思われるのでしょうか。人はまったくの無音の世界では長く耐えられない、大げさに言えば生きていけないといわれていますが、このような極限状況はなかなか想像もつきにくい生活を普段の私たちはしています。

アスファルトやコンクリート・ジャングルに取り囲まれた都会を離れ、自然の営みの音が聞こえる場所、さらにもっと遠い地の果てにいったとしても自然の音はあるはずです。たとえば、あたり一面氷の世界で張り詰めた大気はどうなのか。砂漠で照りつける太陽は音にはならないのか。残念ながら私自身は砂漠でも氷の世界でも極限に近い体験はまだありません。

20年以上前になりますが、シャホフスカヤというロシアのチェリストに何回かレッスンを受けました。その折りの彼女の言葉で、思い出すたびに強烈な一撃を感じるものがあります。「何も音が聞こえない静寂を知らずして、どうして音を作れるの?生み出せるの?」

物心つくかつかないかの頃の日々は別として、私自身はチェロから安易に音を出したことはほぼありません。無心に弾きだしてそのまま音楽がうまく流れていく、音符が目に入れば自然に指が動くというタイプではないからだとも思いますが、彼女の言葉は痛烈なものでした。

今でもその意味するところ全てを理解して把握したわけではありませんが、年々重みを感じます。聞いてくださる方々を前にして楽器を構えて最初の音を出す・・実際には私の中で音楽はもう始まっているのですがそれはさておき・・最初の一音でおよそのことがわかり、続く部分を左右もする、それが音楽の音です。

演奏家という職業を選んだ私ですが、自分自身がどんなときに音楽を聞きたいかというと、あまり頻繁に聞きたいと思いません。普段練習がすむと音はもうたくさんです。休み中でも身体から「音楽っ気」がとことん抜けない限り、楽しみのために聞こうという気にはならない。でも、こういう場合もあります。自分でしなくてはならないけれど煩雑で疲れさせられる本業に関する雑用で{こういうのは雑用とはいわないのかもしれませんが}ストレスがたまったりすると、気分を変えるために気にいっている奏者のCDをかけたりします。どういう曲を聞くかは、さほど問題ではなく、音が発せられた瞬間から表現の強さと魅力がある演奏者のものを欲してしまいます。そんな音を耳にするとたちまち癒され満たされて、また頑張るぞという気になる。不思議ですね。