山下洋輔(3)2007年09月25日 11時20分55秒

「ラプソディ・イン・ブルー」をやるようになって世界が広がりました。交響楽団というものはとても奥が深い世界ですね。N響の首席オーボエ奏者で指揮もやるエッセイストで研究家の茂木大輔さん(こういう肩書きになっちゃうけど本当だから仕方がない)とは古い知り合いで、交響楽団の素晴らしさを彼が本に書く前からよく聞かされていたのですが、本当にそれを実感しました。

ちなみに茂木さんは若い時から我々のやるフリージャズの追っかけをやってくれていて、ドイツ留学の最初の演奏がベルリン大学でのジャズ講座への飛び入り演奏でピアノでフリージャズをやったそうですが、こういうジャズへのシンパシーを持つ楽団員の方も数多くいるという発見も嬉しいものでした。

色々なオケと指揮者で何度もやるたびに気持ちが良くて、とうとう野望が膨らむんですね。こういう音楽を自分自身の曲でやったらどんなに気持ちがいいだろうって。そういう時期に東京オペラシティからニューイヤーの特別プログラムで何かやらないかっていう話があったんです。あそこの大ホールはタケミツメモリアルと命名されていて、武満さんがジャズが大好きだったところから、新年特別興行としてジャズマンを呼ぶのもよいだろうっていうことだったんですね。ところがあの場所が東京フィルハーモニー交響楽団の本拠地でもあると知ってこちらの野望が炸裂しちゃった。「東京フィルを貸していただけたら、ピアノコンチェルトを書いて初演します」思わず大ボラ吹いたんですが、これが「面白い」ってんで受けられちゃった。2000年の初演を目指しての1998年頃の話です。これが今につながる苦難と喜びの始まりとなりました。続きは次回で。