吉松隆(1) ― 2007年08月12日 10時25分57秒
私はもうかれこれ30年近く作曲家をやっていますが、作曲家というのは、考えてみれば奇妙な仕事です。なにしろ自分では演奏せず(それどころか聴衆の前に現われもせず)楽譜だけ書いて音楽を伝えるのですから。
ちなみに、今でこそ作曲家などというものをやっていますが、14歳になるまで(つまり中学3年生まで)は、自分が将来、音楽を職業にすることになるなんて、想像したことすらありませんでした。
そもそも子供の頃は科学者か医者、そうでなければ漫画家になりたいと思ってました。確かに物を作るのは好きでしたが、特に「音楽」に興味を持った覚えはありませんでしたので。
それが、中学3年の冬、つまり高校受験の真っ最中に「交響曲」というものを聴き、突然頭の中で何かが覚醒して「作曲家になるッ!」と決めてしまいました。自分でも、その理由は…よく分かりません。
以来、「純音楽」(早い話が、お金にならない音楽…ですね)にこだわり、オーケストラ(交響曲とか協奏曲とか)の作品を中心に書き続けてきました。ただし、音楽大学にも行かず、先生にも付かず、外国に留学もせず、ロックバンドでキイボードを弾いたり、ジャズのコンボや邦楽器の入ったグループで演奏したりしながらの「独学」だったのですが…。
どうしてそこまでして〈作曲家〉などというものになろうと思い、〈作曲〉というものにこだわってきたのか?と言うと、それは、自分で演奏できなくても楽譜さえ書けば「どんな音楽でも創ることができる」ということ。これに尽きると思うのです。
なにしろオーケストラでも室内アンサンブルでもピアノでも歌でもロックバンドでも和楽器でも雅楽でも合唱でも古楽器でも電子楽器でも、楽譜に書ける楽器ならどんな組み合わせでも「自分の音楽」にすることが出来ます。(実際、私もそのほとんどすべてを書いてきました!)
しかも、自分がいない場所の聴衆や、知らない遠い外国の聴衆、さらには極端な話ですが自分が死んでしまった何十年か後の聴衆ともコミュニケイションが可能なのです。これって、とてつもなく面白い、そして不思議なことだと思いませんか?
おかげで、もうかれこれ四半世紀も、作曲をし続けるはめになってしまいました。もしかしたら演奏家の方々にとっては(そして聴衆の方々にとっても?)迷惑な話なのかも知れませんが、とにかく本当に素晴らしいのですよ。「作曲」するってことは!
・・・・・吉松隆
ちなみに、今でこそ作曲家などというものをやっていますが、14歳になるまで(つまり中学3年生まで)は、自分が将来、音楽を職業にすることになるなんて、想像したことすらありませんでした。
そもそも子供の頃は科学者か医者、そうでなければ漫画家になりたいと思ってました。確かに物を作るのは好きでしたが、特に「音楽」に興味を持った覚えはありませんでしたので。
それが、中学3年の冬、つまり高校受験の真っ最中に「交響曲」というものを聴き、突然頭の中で何かが覚醒して「作曲家になるッ!」と決めてしまいました。自分でも、その理由は…よく分かりません。
以来、「純音楽」(早い話が、お金にならない音楽…ですね)にこだわり、オーケストラ(交響曲とか協奏曲とか)の作品を中心に書き続けてきました。ただし、音楽大学にも行かず、先生にも付かず、外国に留学もせず、ロックバンドでキイボードを弾いたり、ジャズのコンボや邦楽器の入ったグループで演奏したりしながらの「独学」だったのですが…。
どうしてそこまでして〈作曲家〉などというものになろうと思い、〈作曲〉というものにこだわってきたのか?と言うと、それは、自分で演奏できなくても楽譜さえ書けば「どんな音楽でも創ることができる」ということ。これに尽きると思うのです。
なにしろオーケストラでも室内アンサンブルでもピアノでも歌でもロックバンドでも和楽器でも雅楽でも合唱でも古楽器でも電子楽器でも、楽譜に書ける楽器ならどんな組み合わせでも「自分の音楽」にすることが出来ます。(実際、私もそのほとんどすべてを書いてきました!)
しかも、自分がいない場所の聴衆や、知らない遠い外国の聴衆、さらには極端な話ですが自分が死んでしまった何十年か後の聴衆ともコミュニケイションが可能なのです。これって、とてつもなく面白い、そして不思議なことだと思いませんか?
おかげで、もうかれこれ四半世紀も、作曲をし続けるはめになってしまいました。もしかしたら演奏家の方々にとっては(そして聴衆の方々にとっても?)迷惑な話なのかも知れませんが、とにかく本当に素晴らしいのですよ。「作曲」するってことは!
・・・・・吉松隆
御喜美江(1) ― 2007年08月12日 11時16分04秒
みなさまこんにちは!
アコーディオン奏者の御喜美江(みきみえ)です。
昨年にひきつづき今年も仙台クラシックフェスティバルに参加できますことは私にとって大きな喜びと幸せであり、まず初めに深く感謝申し上げます。
皆さまとの再会を今から楽しみに心待ちしております!
さて本日はコンサートに先立ちまして待ちに待ったせんくらブログ、いよいよ私にも番がまわってきました。一週間どうぞよろしくお願いいたします。
実は2007年度のコンサート出演が決まったその日から、「今回もせんくらブログあるのかな?私の番はいつだろう?」と張り切って待機していました。ブログの楽しみ方はいろいろありますが、私にとって一番の魅力は画像です。目に飛び込んでくる面白いオブジェ、言葉では表現しにくい色や光、そして心に響く風景や建物をデジカメで撮り、あれこれと深く難しくは考えないで、見たまま感じたままを瞬間的な速さで、可能な限りシンプルにコメントしてゆく、これに絞ってきました。要するに自分の五感を優先し拙い日本語がボロを出さないうちに終える、ということです。さらに私たち演奏家の指はどれもかなりはやく動くので、ショート・コメントなら数秒間で打つことができ、指だけに喋らせる「瞬間トーク」も私にとってブログの楽しみであります。今回も出来れば一度この「MM・瞬間トーク」を読んでいただきたいと思っております。
*
さて、2週間の滞在を終えてオウル/フィンランドから5日前ドイツに戻ってきました。それは舘野泉氏が音楽監督をなさっている「第10回オウルンサロ音楽祭」への参加で、今回はMusician of the Yearに選ばれる大きな名誉に恵まれました。(http://www.oulunsalosoi.fi/english.php)アコーディオン奏者としては初めてでしたので本当に嬉しく有難く、5回の演奏会もあたたかい聴衆と素晴らしい友人たちに囲まれ忘れ難い想い出となりました。今回は気温も18℃~25℃と凌ぎやすく、雨降りの日もありましたが、それでも夏の光は限りなく明るく、澄んだ空気と水と静かな白夜を満喫してきました。
(2007年8月11日ラントグラーフにて)
関連記事:アコーディオン御喜美江~オフィシャルブログ~『道の途中で』
http://mie-miki.asablo.jp/blog/
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