吉松隆(4) ― 2007年08月15日 10時28分52秒
先日、この9月にNHKのBS2で放送される「おーいニッポン」という番組のリハーサルに行ってきました。私が構成・編曲した「埼玉Rhapsody」というスコアの打合せです。
この番組は、年に数回ほどのペースで日本全国の都道府県にスポットを当て、6時間ほどにわたってお国自慢情報を紹介するもの。番組の最後には、その県ゆかりの歌や音楽や民俗芸能を組み合わせて12分ほどのメドレー構成にした「ふるさとラプソディ」が、その地のアマチュア・オーケストラと合唱団のみなさんとの共演によって演奏されることになっています。
これは八木節やソーラン節など日本民謡で構成した外山雄三さん作曲の名作オーケストラ曲「ラプソディ」にちなんだものとのことで、今まで千住明、服部克久、渡辺俊幸、栗山和樹、小六禮次郎、和田薫などなど色々な作曲家・編曲家の方によって書き継がれています。お国自慢ですから、本来はその県ゆかりの作曲家が作編曲するのがベストなのですが、そうも行かない時に私に声がかかるみたいです(笑)
私は昨年、茨城県の時に初参加したのですが、今回(9月)は埼玉県。川越ゆかりのわらべ歌「通りゃんせ」、秩父屋台囃子(秩父市)の太鼓、知る人ぞ知る卒業式の定番ソング「旅立ちの日に」(秩父市)、タケカワユキヒデ氏(さいたま出身)のヒットソングなどなど8曲をメドレーにして、オーケストラ(指揮は円光寺雅彦さん)、200人の児童合唱および混声合唱、和太鼓群、ロックバンド、金管のファンファーレ隊…という(ベルリオーズやマーラーもびっくりの)巨大編成となりました。
なにしろ大編成ですので、スコア(上の写真)も大きいです。それに、演奏される場所も普通のホールではなく、大宮に新しく出来る「鉄道博物館」(正式な開館は10月。鉄道マニアにはちょっとたまらない場所かと)。歴代の機関車や客車がずらりと並んだ展示館の巨大空間で鳴り渡る予定で、これも先日ちょっと下見に伺いました。
オーケストラや太鼓や合唱やロックバンドという異なるジャンルの音楽を同時に演奏させる、というのは結構大変なことなのですが、(前のブログで書いたように)「楽譜」を書くことによって、こういう思いもかけない音楽が生まれます。
逆に言えば、楽譜を書かなければ生まれようもない音楽が生まれるわけで、これは実に悪魔のような(?)快感と言わざるを得ません。
この悦びさえあれば、スコアを書くのが大変だとか、〆切がキツイとか、ギャラが安いとか、そういう不満なんか・・・・・いや、ほんのちょっぴりはありますけどね。
BS2での放送は9月2日(日)。曲の披露は生中継で5時半頃からの予定です。
・・・・・吉松隆
御喜美江(4)「不幸中の幸い」 ― 2007年08月15日 10時30分58秒
今日は先週の大雨で水浸しになった車を修理工場においてきました。車の中は今朝もまだ水たまり状態で、発進するとき、カーブを切るとき、ブレーキをかけるとき、ポチャ~ポチャ~と、のどかな水音がします。この響きにもなんだか慣れてきてしまったのですが、しかしこんな車はそう長いこと乗れたものではありません。それに原因が何かも分からないのですから不気味です。この修理はかなり高くつくだろうなぁ、と内心かなり心配でした。
ところが、この修理を申し込んだ日付は何と保障期限が切れる最後の日だったそうで、これは全くの偶然であり、私は知りませんでした。「保障有効期間ですから貴女にコスト負担はかかりません。」と言われたときは本当にびっくり、思わずお口ポカンでした。
これぞまさに「不幸中の幸い」というものですね。あの大雨が一日遅れで降っていたら・・・なんて思ってしまいました。
*
アコーディオンには今でこそ国立大学、世界コンテスト、フェスティバル(!)なんてメジャーなスペースがありますが、私が4歳で習い始めた当時はマイナーな楽器でした。毎週、母に連れられて伴典哉先生のレッスンに通うとき、上野松坂屋前では傷痍軍人さんが2人コンビでアコーディオンを弾いていました。流しのおじさんが弾くアコーディオンも子供の耳には寂寥感ピュアに聞こえ、その光景は限りなく淋しくうつりました。
ちょうどその頃3歳年上の従姉がピアノを習っていたのですが、彼女の「虎ノ門ホール・ピアノ発表会」は明るく華やかで、私の「豊島公会堂・アコーディオン発表会」はちょっと暗かった記憶もあります。それで8歳頃からはピアノも習わせてもらい、ハノーファー音楽大学は一応ピアノ科を卒業しました。でもアコーディオンは何故かいつも私のすぐそばにあり、常に演奏し続け、心のなかに響く音たちはピアノではなくアコーディオンでした。
もし私がピアニストを目指していたら、仙台クラシックフェスティバルに出演するなんてことは絶対不可能でしたが、アコーディオン奏者になったおかげで、2年も連続で出演させていただけるのです。これもまた「不幸中の幸い」かもしれません。
ところが、この修理を申し込んだ日付は何と保障期限が切れる最後の日だったそうで、これは全くの偶然であり、私は知りませんでした。「保障有効期間ですから貴女にコスト負担はかかりません。」と言われたときは本当にびっくり、思わずお口ポカンでした。
これぞまさに「不幸中の幸い」というものですね。あの大雨が一日遅れで降っていたら・・・なんて思ってしまいました。
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アコーディオンには今でこそ国立大学、世界コンテスト、フェスティバル(!)なんてメジャーなスペースがありますが、私が4歳で習い始めた当時はマイナーな楽器でした。毎週、母に連れられて伴典哉先生のレッスンに通うとき、上野松坂屋前では傷痍軍人さんが2人コンビでアコーディオンを弾いていました。流しのおじさんが弾くアコーディオンも子供の耳には寂寥感ピュアに聞こえ、その光景は限りなく淋しくうつりました。
ちょうどその頃3歳年上の従姉がピアノを習っていたのですが、彼女の「虎ノ門ホール・ピアノ発表会」は明るく華やかで、私の「豊島公会堂・アコーディオン発表会」はちょっと暗かった記憶もあります。それで8歳頃からはピアノも習わせてもらい、ハノーファー音楽大学は一応ピアノ科を卒業しました。でもアコーディオンは何故かいつも私のすぐそばにあり、常に演奏し続け、心のなかに響く音たちはピアノではなくアコーディオンでした。
もし私がピアニストを目指していたら、仙台クラシックフェスティバルに出演するなんてことは絶対不可能でしたが、アコーディオン奏者になったおかげで、2年も連続で出演させていただけるのです。これもまた「不幸中の幸い」かもしれません。
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