御喜美江(5) ― 2007年08月16日 10時02分52秒
私たちは楽譜というものから作品を受け取り、出来る限りその譜面どおりに演奏できるまで正確に緻密に練習することを小さい頃から強いられてきました。それは正確に譜読みをすることが前提で、そこから生まれる響きはその次、またはその次の次、場合によっては響きなんて最後までテーマにならない、そんな授業もありました。
でもときたま「楽譜なんて糞くらえ、楽器さえあればそれでいい、ただひたすら楽器に触れていたい」と思いませんか? 愛おしい楽器を触れるのに楽譜なんてどうして必要でしょう。無心に鍵盤を撫でる、響きに身を任せてファンタジーに夢を膨らませ、指は上へ下へとボタン上を舞い踊る、そんな楽しみなくして楽器を知ることは出来ない、と思いませんか?
コンピューターを始めた頃、慣れないキーボートと全く分からない専門用語に悩み格闘しながら、ふと思い出したのが子供の頃に一人遊びしたあの「鍵盤トーク」でした。多くの失敗や理解に苦しむ謎物語のあげく、コンピューターを真剣に憎み始めた頃、ふと始めたのが「瞬間トーク」でした。キーボードをたたく時は何も考えない、なにも計画しない、何も期待しない、ただひたすら指に喋らせる、これをやってみました。
その結果、ある日からコンピューターが自分にとって大切で愛おしい対象物になったのでした。ここで重要なことは、とにかく頭より指がはやく進むことです。この川の流れのように、指は水のごとくキーボード上を無心に流れていくことです。
内容はとるにたらないつまらないものですが、御参考までに「瞬間トークOp.1」を今日はここに記載させていただきます。
*
• コレは何でしょう
• この次はなんでしょう
• それではコレは何でしょう
• あれこれ言う前にもうちょっと考えて答えてください、
• はい、わかりました。
• だからってそんなこと言わないでね。
• いいでしょう、べつにあなたには関係ないんだから。
• もういいですよ
• ああそうですか
• なんだかんだうるさい人ですね、貴女は。
• そうですよ、わたしはうるさい人ですよ。
• 分かっているのならいいですよ。
• そういうものでもないでしょう。
• あなたに向上心というものはないのですか。
• そんなものあってもなくてもどうということないでしょう。
• まあないほうがいいでしょうね、あなたのようなひとには。
• こんなはなしは実にたのしいですね。
• そうですかね。
• 随分まえになりますが、つまらない話をしたことがあります。
• 今でも憶えているわけですね。
• べつに憶えているわけではありません。
• じゃあいったい何が言いたいのですか、あなたは?
• 何かを言いたくて喋っているわけです、それだけ。
• えっ?
• 運指練習おわり
• お疲れ様でした。
• はい。
(2001年6月3日)
吉松隆(5) ― 2007年08月16日 10時03分09秒
現代で「クラシック系音楽の作曲家をやっています」と言うと、いまだに「ああ、現代音楽ですね」と(ちょっと顔をしかめて)言われることが多々あります。
まあ、確かに現代で音楽を作曲しているのだから「現代音楽」には間違いないのですが、第二次世界大戦後に闊歩した、いわゆる「前衛音楽」(アヴァンギャルドなんて言います)の、グチャグチャ・ゲロゲロ・ドロドロというタイプの難解(要するに不快)な音楽が、よほど印象的だったのでしょうね。いわゆる「ゲンダイ音楽」というのは、ごく普通のクラシック音楽ファンにはそれこそ蛇蝎のごとく毛嫌いされています。(それでも、蓼食う虫も好き好きと言って、そういうのこそが好きなマニアも少なくないのですけれど)
おかげで、かれこれ半世紀ほど、クラシック系音楽の「新作」というのは、一般の聴衆からほとんど見向きもされなくなってしまいました。ほんの80年ほど前(1920年代)には、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」とか、ラヴェルの「ボレロ」とか、プッチーニの「トゥーランドット」などが次々に新作として披露され、世界的に演奏されていたことを思うと、実はこれ、かなり異常なことと言わざるを得ません。
ちょっと考えてみてください。いくらシェークスピアやコナン・ドイルやドストエフスキーや紫式部が素晴らしいと言っても、今みんなが普通に読んでいて一番売れているのは、やっぱり今生きている作家の最新作であり今月の新刊ですよね?
ポップスだって、ビートルズやエルヴィス・プレスリーや美空ひばりがどんなに天才的でも、今一番聴かれているのは新しい若いアーティストによる最新ヒット曲であり、今週の新譜です。それが、健全な世界というものです。
ところが、クラシック音楽界だけは、100年も200年も前に死んだ人が書いた作品を崇め奉ったままです。コンサートでもCDでも放送でも、演奏されるほとんどが過去の作家たちの残した音楽で、新作が一般聴衆の前に登場する機会は滅多にありません。こんな異常な業界は、クラシック音楽界以外にちょっと思い当たりません。
かつて、指揮者の渡邊暁雄さんは「私たち演奏家は、過去の作曲家たちが生み落とした名作を演奏することで大いなる恩恵を得ています。ですから、その恩返しとして、現代の作曲家たちが曲を生み出す手助けをするべきなのです」とおっしゃられたそうです。
現代に生きる作曲家も同じです。過去の音楽からの恩恵を血肉とし、渾身の力で現代という世界を記述する新しい音楽を作ること。それこそが、過去の作曲家たちへの敬意の証であり、恩返しなのだと思います。
…いや、もちろん、それをダシにして遊んでることも否定はしませんけどね。
・・・・・吉松隆
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