渋谷由美子(3)2007年07月03日 10時10分20秒

先週の土曜日、仕事先の楽屋で友達が「おお、神尾真由子ちゃんチャイコで1位だって」と、携帯をみて言いました。

久々の日本人優勝とあって、メディアも毎日、クラシックとしてはかなり大きく取り上げていました。

彼女が小学6年生のときに、仙台フィルとメンデルスゾーンのコンチェルトを演奏しました。

私は降り番で、そのときはもう一人のコンマスであった森下君がコンマスをやっていました。

もうその時点で彼女のことはかなり有名で、また彼女にとても興味があったので、私はリハーサルを聞きに東北福祉大のけやきホールに出向きました。

演奏は堂々としていて、それはとにかく大人が演奏しているかのように、幼さはどこにもなく立派なものでした。

リーサル終了後、いろいろ聞きたいと思い、声をかけてみました。

彼女の先生は、元東京クヮルテットの第一ヴァイオリン奏者であった原田幸一郎先生でした。
幸一郎先生ご夫妻には、ニューヨーク時代に大変お世話になり、福岡で同じ先生だったこともあり話が弾みました。

神尾さんと話をしていて一番驚いたのは、まるで大人と話しているようで、受け答えはどう見ても12.3歳とは思えず大人と話をしているよう。

レパートリーを尋ねてみると、チャイコ、シベリウスなど有名なコンチェルトを数曲、また難曲の小品もいくつかすらすら即答でした。

さすが天才は違う、つくづくそう思いました。

あまりにもキャリアが長いので、21歳という年齢を聞いてまだそんなに若かったの?とまた別な驚きでした。

そういえば1979年の秋に、もう日本に帰ることを決めていたときに、ジュリアードのドロシー,ディレーのところにまだ13歳だった五嶋みどりが来て、
ディレーが「凄い天才少女が日本から私のところに来た。」とえらく喜んでいると、ディレーの弟子が言っていたことを思い出しました。

松山冴花さんも、みなさん関西ですよね。関西人は素晴らしい。

中川賢一(3)2007年07月03日 10時10分53秒

私は、ベルギーはアントワープというところで勉強していた時期があります。なぜそこに行ったかというと、もちろん素晴らしい先生にめぐり合えた事と、様々な方のご協力があったからこそ・・・と思っておりますが、もっと直接的な理由は食事と風土でした。

旅行ではないので、食事は毎日のことなので口に合わないと過ごすのがつらいと思っていたからです。また気候も、一度住んだらそこから抜け出すことはできないので重要でした。食事については私個人の独断では、ベルギーはヨーロッパの中で最高ではないかと思っております。ここで曲解されないためにも一言付けくわえさせていただきますが、「ベルギー料理」が「ヨーロッパの中で最高」と言っているわけではありません。もちろんムール貝や、ワッフル、チョコなど素晴らしい料理がありますが、それも素晴らしいとして、世界各国の料理が比較的高くない値段で食べることができるのです。

「高くてうまいのは当たり前」と私自身は思っておりますが、まずベルギー料理、フレンチ、イタリアンはもとより、ロシア、ギリシャ、トルコ、モロッコ、韓国、中華(広東、北京、四川、香港)、日本(寿司、定食、焼き鳥)、ベトナム、インドネシア、マレーシア、インド、クロアチアほか沢山の国の料理が私の家から歩いて30分以内のところにありました。かなりの店がかなりのクオリティで毎日飽きることがありませんでした。ベルギービールも見逃せません。400とも600ともいわれている種類のビールはほとんど地ビールで、ラガー系から、黒ビール系、果物のフレーバーによるフルーツ系など全く飽きません。ベルギー人はお金が無くとも週に一回は家族で外食をするとも聞いております。貯蓄はあまりないのですが、それでももらったお金は、まず食事に使うのが大好きなようで、皆さんおいしいものを食べるのが大好きなようでした。その人生を謳歌する態度に感動を受け、住んで学ぶことを決意したといっても過言ではありません。

この国は小さいため、税金が非常に高いのですが、その代わり相当の年金が入るために、退職を楽しみにしていて、老後は悠々自適です。いいレストランでお昼を食べているお年寄りも多いですね。失業保険もかなり充実し、医療も心臓バイパスの技術は世界屈指で、頻繁に手術が行われております。

次に気候ですが、ベルギーは基本的に「曇り」か「霧雨」しかありません。本当の快晴はほんの数時間のことが多く、雨も集中豪雨になることは本当にまれです。しかしながらいつも折り畳み傘は無いといけない・・・冬は朝9時半くらいにならないと明るくならず、15時には暗くなってくる(夏は逆ですが・・・)というところも、冬の鬱蒼としたものに対して嫌悪感をそれほど持っていない自分にとってはなかなかいごこちがよいものでした。なぜかそういった暗い空間では家にこもってじっくり音楽のことを考えて練習できるので、留学して自分の演奏を向上させてこようという者にとってはよい環境だったといえると思います。ストレスがたまったらおいしいものを飲んで、食べたらすぐにどこかに飛んで言ってしまう。そんな生活でした。