渋谷由美子(4)2007年07月04日 09時25分08秒

一昨日7月2日は誕生日でした。

この歳になってくると誕生日というものは自分でもどうでもよくなるし、また長男と一緒とあって、私の親でさえついでに「おめでとう」というくらいになってしまいました。

今日は静脈瘤の治療のために、JR病院に行って来ました。

次男を妊娠していたときにできてしまい、右足は血管が浮き上がるようになり、見た目にも良くないし、なんといってもいつも鉛が入っているように重く、だるかったのです。

10年ほど前に外科手術をしてだるさや不快感は改善されたのですが、数年たつとまた少しずつ出てきます。

5年おきに治療をしているのですが、血管に点滴用の針を刺し、薬を入れながら潰していくという細かい作業を繰り返します。

あまり痛くはないのですが、時々薬が入るときに足が自然に震えるくらい痛いときもありますが、そこはきれいな足になるために我慢我慢。

先生も「足美人にしてあげましょう。」と一言。
というわけで今日は3回目が終了し、後は様子を見てということになりました。透明人間のように右足は大きな包帯でぐるぐる巻きなっています。

JR病院は血管外科では日本の中で、かなり優秀で有名です。
気になる方はいつでもご相談ください、紹介いたします。

中川賢一(4)「符号」2007年07月04日 09時26分54秒

突然暗い話になって申し分けありませんが、今年一月に私の母が亡くなりました。病気でしたが突然で、5日前に最後に会ったときもとても元気でした。突然呼吸困難になり自力で病院に行ったそうです。私は亡くなる前日(といっても発病の翌日)に駆けつけ一晩看病し、最後まで見取ることができました。

すでに8年前に父が亡くなり、兄弟もいないため、都合2回喪主を行ないました。

いろいろなことがあり、それなりにこたえたことも沢山あったのは事実ですが、ここで、それについての感傷的な話をすることが目的ではありません。

ただその前後にかかわった曲についてお話をさせていただきたいと思います。

母が亡くなる二週間前に私とヴァイオリンとのデュオの演奏会を聴きに来てくれました。これが彼女の聴いた最後の演奏会です。そのときはモーツァルトのK304を演奏しました。この曲はモーツァルトの母親が亡くなったときに作曲した曲といわれております。

亡くなる1週間前に友人が私にある曲の弦楽オーケストラへの編曲を依頼して来ました。曲は”Time to say good bye”でした。元気な母の顔をみた最後の日に、とある人のオリジナルで「さよならのさは桜」という曲のアレンジを完成しました。母が亡くなって最初の公開演奏ではドビュッシーのチェロソナタでした。ドビュッシーが直腸癌の宣告を受けた直後の作品と言われております。8年前に父が亡くなった直後の最初の演奏会も同じ曲でした。

葬祭時の最中に毎日練習しておりました。昨年、年も押し迫るときに、ある友人からミシェル・ルグラン作曲の歌で譜面が無いので聴き取ってコピーしてほしいといわれました。歌の曲で“Dans le même instant”という曲です。後半の詞です。

この瞬間に 地球の果てで 幾人もの兵士が 日の光の下死んでゆき 
この瞬間に 他の誰かと入れ替わる それでも私たちは抱き合う 
この瞬間に 飛行機は飛び立ち 子供は学校で その音を聞いて夢見る 
この瞬間に 老人は息を引き取り こどもはため息をつく 男は20才 
この瞬間に 人々は嘆き あるいは歌い 耄碌し 息を引き取る 
苦しみあるいは祈る 時間に溺れ 空間に迷う
私たち二人は抱き合う それが生きること

昨年12月、クリスマスに私の唯一のCDが完成し、早速実家に沢山の段ボール箱とともに運ばれてきました。1ヶ月は母も聴く事ができたと思います。ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌやバッハ=ブゾーニ:シャコンヌが入っております。

私が、母危篤の合間に、実家に大事なものを取りに行ったあと、母の乗っていた車で再度病院に向かおうとエンジンをかけたときに「パヴァーヌ」が鳴り出しました。常に聴いていたようでした。ちょうどそのとき彼女は人工呼吸を入れることになり30分前まではしっかり話をしていましたが、私が着いてからは話ができない昏睡状態になっておりました。

現在これらの曲は自分の中ではとても大きな意味を持っております。
以上のことはある意味で予定されていたことではないのですが、世の中には不思議な符号があるなあ・・・と思っております。