中川賢一(1)2007年07月01日 08時30分41秒

みなさんこんにちは!ピアニストの中川賢一です。私は仙台に生まれ育ちました。大学時代は東京で、外国にも留学しましたが、いつのときでも自分の心のふるさとは仙台にありました。今回は3日間仙台クラシックフェスティヴァルに参加できて、仙台人としては本当に光栄です。

仙台に生まれてよかったことは本当に沢山ありますが、まずは食べ物と自然です。といっても私が育った子供のときと現在ではかなり違っていることも申し上げなくてはなりません。

「北国」・・・といっても今となっては大雪を見ることもなかなかなくなってきました。いま仙台を雪国と思っている方は少ないかもしれませんね。私は仙台の冬が大好きでした。

以前は冬になるとかなりの量の雪が積もり、長靴なしでは外を歩くことはできない状態で、頻繁にそりすべりをするために小さかったときも重いそりを抱えて坂のある林に通っておりました。当然手はかじかむのと、頬は真っ赤になって言葉も話せないほど体が硬直してしまうのにもかかわらずそりすべりをしていました。林の中の坂をすべると思わずスピードあまって、さらに奥の草むらの中まで突っ込んでしまい、一緒にいた友達が私のことを見つけることができないこともありました。今だったらこんな危険な遊びはさせてもらえないのかもしれませんね。そりすべりを終えて夕方暗くなって変えるときの心細さといったらなかなかのものでした。今のように電燈も沢山無いために100メートルごとの木の電柱にぶら下がるさびしい電球を頼りにとぼとぼ歩いていたと思います。おそらく小学校低学年からそのようなことをしていたと思います。今は「不審者」などとかで子供が一人出歩くというのは危険視されますが、私はそういった意味では危険だったかもしれませんが、みんなそうしておりました。その帰りがけ、親に怒られる19時くらいには、すでにそれほどの人影も無く、しんしんと降る雪の「音」を聞くことができ、また夕暮れのなぜか青白い全く足跡のない平面の雪の絨毯を見ているとミステリアスで、子供ながらに狂気のこもった空間は、怖いのにもかかわらず魅力的でした。ドビュッシーの前奏曲で「雪の上の足跡」という私の大好きな曲がありますが、このシュールな世界はすでに私の中では幼少のうちに、もしかして見ることのできるものだったのかもしれません。

今はすべてがある意味で豊かで満ち溢れています。しかも、いつでも明るい。冬の夜でさえ、煌々と電燈がともり常に車がはしっている状態は私の中では「暗くなった昼」です。すべてが眠り、死んでいる・・・常に自然に昼の「生」と夜の「死」という、もしかしたらあまりにも短絡的かもしれないが、生物の諸行を感じる空間を幼少時に味わうことができたのはとても幸せだったといってよいかもしれません。

コメント

_ 紫苑 ― 2007年07月01日 10時41分32秒

主人は山形出身ですが、雪国の人は情緒があって我慢強いとよく言います。

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