村上満志(4)恥ずかしながらの「昔話4」2007年07月11日 09時17分29秒

春は野に舞う蝶と戯れ、夏は声楽科の学生達と競うような牛蛙の合唱に心和ませ、秋には宍道湖に沈む夕陽にもの想い、そして冬には深々と降り積る雪を窓ごしに眺めながら、ウラッハ(ウィーンのCla奏者)の奏でる「ブラームス」を心に刻み鬱々とした青春を感じていた。そのようにして田舎の大学で何の疑いもなく、何らかの結果を求められる事もなく生活していた。

恥ずかしながら、まるで4年間がそのまま額縁に収まりそうな、文字通り青春だった。

多くの仲間は特別教科(音楽)教員養成課程のその名のとおり、教員採用試験を受け、社会へと羽撃いて行った。私もそうなることに左程の違和感は感じていなかったが、「過ごしてきた4年間を自分なりに検証したい」とも思ったし、「もう少し楽器を弾いていたい」とも思った。その結果、国立の音楽大学、つまり芸大受験という事になった。2回目の大学受験だったので親にも言えず、すでにサラリーマンをしていた兄に無心し、自らも手持ちのオーディオ機器を後輩に買ってもらうなどして、受験資金を捻出した。

しかしお金の工面よりも、勉強などの受験準備の方が大変だった。4年間は、全てを忘れる為にあったので、現役受験生同様一から覚え直しである。その上卒業の為の単位も沢山落としていたので、それを拾い集めるのもまた大変。

演奏技術の面でも、ただひたすら何の基準も持たず自己満足的練習を繰り返していたので、「自分がどんなレベルに居るのか?」という不安も大きかった。

結果的に合格したが、第三次の最終発表を見たとき、周囲で飛び上がって喜ぶ現役の受験生のようには喜べない自分が居た。合格した喜びよりも、もうこの道から逃れられないという気持ちの方が大きかった。

もし受験に失敗していれば、1年間の就職浪人を経て、それなりに熱血先生になっていたと思う。

恥ずかしながら思う。

人が生きる時、取り敢えず頑張らなければと思うが、結果は多分に「はずみ」とか「成行き」に翻弄されるようにも!!

コメント

_ 友紀 ― 2007年07月11日 21時19分25秒

音楽の先生って就職いいんですか?私は書道の教員志望ですが、担任が就職ないぞって。母は書道家になればって言いますけど、そこまでは。

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