中川賢一(4)「符号」2007年07月04日 09時26分54秒

突然暗い話になって申し分けありませんが、今年一月に私の母が亡くなりました。病気でしたが突然で、5日前に最後に会ったときもとても元気でした。突然呼吸困難になり自力で病院に行ったそうです。私は亡くなる前日(といっても発病の翌日)に駆けつけ一晩看病し、最後まで見取ることができました。

すでに8年前に父が亡くなり、兄弟もいないため、都合2回喪主を行ないました。

いろいろなことがあり、それなりにこたえたことも沢山あったのは事実ですが、ここで、それについての感傷的な話をすることが目的ではありません。

ただその前後にかかわった曲についてお話をさせていただきたいと思います。

母が亡くなる二週間前に私とヴァイオリンとのデュオの演奏会を聴きに来てくれました。これが彼女の聴いた最後の演奏会です。そのときはモーツァルトのK304を演奏しました。この曲はモーツァルトの母親が亡くなったときに作曲した曲といわれております。

亡くなる1週間前に友人が私にある曲の弦楽オーケストラへの編曲を依頼して来ました。曲は”Time to say good bye”でした。元気な母の顔をみた最後の日に、とある人のオリジナルで「さよならのさは桜」という曲のアレンジを完成しました。母が亡くなって最初の公開演奏ではドビュッシーのチェロソナタでした。ドビュッシーが直腸癌の宣告を受けた直後の作品と言われております。8年前に父が亡くなった直後の最初の演奏会も同じ曲でした。

葬祭時の最中に毎日練習しておりました。昨年、年も押し迫るときに、ある友人からミシェル・ルグラン作曲の歌で譜面が無いので聴き取ってコピーしてほしいといわれました。歌の曲で“Dans le même instant”という曲です。後半の詞です。

この瞬間に 地球の果てで 幾人もの兵士が 日の光の下死んでゆき 
この瞬間に 他の誰かと入れ替わる それでも私たちは抱き合う 
この瞬間に 飛行機は飛び立ち 子供は学校で その音を聞いて夢見る 
この瞬間に 老人は息を引き取り こどもはため息をつく 男は20才 
この瞬間に 人々は嘆き あるいは歌い 耄碌し 息を引き取る 
苦しみあるいは祈る 時間に溺れ 空間に迷う
私たち二人は抱き合う それが生きること

昨年12月、クリスマスに私の唯一のCDが完成し、早速実家に沢山の段ボール箱とともに運ばれてきました。1ヶ月は母も聴く事ができたと思います。ラヴェル:亡き王女のためのパヴァーヌやバッハ=ブゾーニ:シャコンヌが入っております。

私が、母危篤の合間に、実家に大事なものを取りに行ったあと、母の乗っていた車で再度病院に向かおうとエンジンをかけたときに「パヴァーヌ」が鳴り出しました。常に聴いていたようでした。ちょうどそのとき彼女は人工呼吸を入れることになり30分前まではしっかり話をしていましたが、私が着いてからは話ができない昏睡状態になっておりました。

現在これらの曲は自分の中ではとても大きな意味を持っております。
以上のことはある意味で予定されていたことではないのですが、世の中には不思議な符号があるなあ・・・と思っております。

コメント

_ snow ― 2007年07月04日 21時01分11秒

私も先月母を亡くしました。急なことで最後に見取ることはできませんでしたが、ドクターはじめ大勢の見舞い客が来てくれていたので、寂しくはなかったと思います。兄弟はおりますが、誰もやると言わないので私が喪主に。告別式当日は大雨の予報が一転快晴になりました。ラヴェルのパヴァーヌ私も大好きです。

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