山下洋輔(5)2007年09月27日 08時19分22秒

それからの一年余りの間、どうやって曲を作ったのか。確かカンヅメ合宿は5回以上はやったと思いますね。早春の伊豆高原ではキーボードをコンピュータにつないで第一楽章全部をイメージして即興で弾いていくということをやりました。しかし、機械に採譜された楽譜はとても人間の読めるようなものではなく、これを正常の楽譜に直していくのはこんがらがった遺伝子の鎖をほぐしていくような作業でした。しかし、その中に自分のやりたい事が全部詰まっていると信じて、解きほぐしていきました。夏の岩原、秋の山中湖畔、都内のホテルと時間をとっては集中しました。またツアー先の弟子屈では、空いている時間に使わせてもらったホールのピアノで、ある場面のオーボエのメロディをつかんだことをはっきり覚えています。

このコンチェルトを作るについては栗山さんと大原則を二つ確認しました。

一つは、通常の二管編成で通常のリハ時間で出来るものという制約です。勿論、委嘱作品を書く作曲家ですから、ワガママは言えると思うんです。「ワシの作品には寺の鐘が百個必要だから必ず揃えるように」なんてね。でもそういう作品の演奏の機会は一回だけかもしれない。ジャズコンボでも面白い刺激的な事は出来る、ビッグバンドなら大編成だ、という感覚の我々から見れば、通常の二管編成のオケは音の宝庫です。面白いことが出来ないわけはない。その編成なら再演が可能だし、また再演出来なければ意味がないと考えました。

二つ目は、譜面はしっかりオーケストラの流儀で書いて演奏者の方々に余計な負担をかけないというものです。コードを書いてアドリブと指示しておけば15分演奏するジャズマンだと思うのはとんでもない失礼なことです。異分野の交流はまず相手の最大の得意技を出してもらうようなルールを作る必要があります。この点については栗山さんは、ファンダメンタリストと言ってよいほどの思想家で「弾けないような書き方をすればホロビッツでも弾けないんです」という言い方で、ぼくを完全に納得させてくれました。

さてさて、この共同作業の結末や如何に。